人気ブログランキング | 話題のタグを見る

アメリはどうして日本で出版されないのか

文章がいい。
誰もが一番に言う作家。
語彙が多く、表現が豊かでフランス語文学に通じ、引用も深い。
その反面会話は今どきの口語。
ベルギー人だが海外生活が長く、アジアで引きこもってゾラを読んでいた時期もあり、文学の地盤が固い。
日本語で言うなら森鴎外調の現代小説といったところか。
そして口下手な人間の内面と、それに対する相手の反応や誤解が、赤裸々に綴られている。
鋭利な切り口はあまりにもあからさまで、こちらがこっ恥ずかしくなるくらい。
文章でなら自分を表現できる人。
そうそう、そういうことあるある、言いたくなる箇所がそこここにある。
そのくせ日本語訳が出版されていないので、大学、語学学校等のフランス語テキストには最適だ。

そう、この作者、日本語訳がほとんど出ていない。

1990年代「畏れ慄いて」で企業体制暴露、批判、そしてアンチ・ニッポンとまで言われたアメリ。
すぐに読める、あっという間に読了。斜めに読んでもうわかった。
くだらない。上から目線。所詮外国人。
嘘ばっかりでしょう。
日本人からの評。

フランス人からは「日本ってホントにこうなの?」
聞かれる在仏日本人が多かったと聞いた。

フランス人にとっては話のきっかけに過ぎなかったのだ。
話題が引き出せそう、というネタまみれな本。
相手はあなたと話がしたかったのだ。
そこからニホンについて話そうが、吹雪さんみたいな人フランス人にもいるでしょうと言おうが、フランスのトイレについて話そうが、ウォッシュレットについて話そうが、それはあなたにかかっていたのだ。

切り出しはフランス人にとってきっかけにすぎない。
フランス人にとっての会話は連想ゲーム。
フランス人はしゃべるために生きている(こともある)。
ベルギーについては不明。

あれから15年。
そろそろ“アメリー・ノートン”の翻訳出版、再度スタートの時期だと思う。
「畏れ慄いて」の汚名を挽回したければ、「ロベール(Robert des noms propres)」「生き方のひとつ(Une Forme de Vie)」、「父殺し(Tuer le Pere)」そしてペトルニーユと読んでいくのが一番だ。
そして他の本も。


癖のある、好きと嫌いが真っ二つにわかれる可能性も確かにある。
けれど老舗企業はただの外国人契約社員OLに翻弄されたのではないということが、
読めば明確にわかってもらえるはず。

by mkbookies | 2014-08-30 14:28 | 洋書
<< わんこ ペトロニーユ 感想 >>